みつなりのまったり人生録

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春秋戦国中国とポリスギリシア、どっちがすごい?

こんばんは。

今日は、ふとこんな疑問が浮かびました。

 

春秋戦国時代の中国(前770~前221)と、ポリス国家で有名なアテネやらスパルタやらの全盛期(前6世紀~前4世紀くらい?)って同じ年代だよなあ。。。

でも、どっちがすごいんだ?という疑問です。

 

同時代に存在した世界随一の大勢力。

地理的な距離もあって直接交わることはなかった二つの勢力ですが、

中国もギリシアも一世を風靡する地域なだけに、どちらがすごいのか気になる。。。

 

てなわけで、いくつかの面から二つを比べてみます!

 

1.道具

2.政治体系

3.人口

4.文化

5.結論

 

1.道具

 世界史では、石器時代やら青銅器時代やら色々ありますよね。

特に古代の時代では、道具を何から作っていたかで、生産性や軍事力が大きく左右されます。

時代の名前にもなるくらい重要だった道具、比べてみましょう!

 

まずは、中国。

春秋戦国時代の一つ前、周の時代では青銅器の道具が主流でした。

祭祀道具や食器、武具も青銅器で作られました。

 

それが春秋戦国時代にはより硬い金属、が伝わり使われるようになります。

鉄製の農具、工具が普及するにつれて農業生産や土木工事の効率が大幅に改善したそうです。

ただし、中国で使われていた鉄は鋳鉄と呼ばれる、型に鉄を流し込む製法で作られたもの。西アジアで使われていた鍛鉄よりも柔らかく、武器は依然として青銅が使われていたそう。

 

一方のギリシャ。世界で初めて鉄の使用したと言われる小アジアヒッタイトから近いことより、鉄が普及しています。

 

うーん、青銅も鉄も一長一短ですが鉄の普及に関していえばギリシアの方が広く使われていた気がしますね。

 

2.政治体系

次は政治のシステムについて。

 

中国では、周の勢力が弱まると、数々の諸侯が台頭。

群雄割拠の春秋戦国時代に突入しています。

 

周王朝の崩壊と共に、絶対的王政や身分制が崩れており、

ひしめき合う諸国が人材確保のため、身分や家柄よりも個人の能力を重視する

傾向が強かったと思われます。

この時代、「士」と呼ばれる思想家たちが様々な意見を交わし、様々な国に仕えたと言われています。

 

身分性の崩壊によって、学問や技術が庶民にある程度開かれたのは事実です。

ただし、王重臣の地位は依然として家柄や血縁関係によるところが大きく、

政治参加という面では限られた一族、よほど高名な思想家でなければ厳しかったでしょう。

 

しかし、この時代に多くの政治体系、外交策(法家、兵家、縦横家・・・)が生み出されたのは事実です。このアイデア力と、戦国時代の圧力が政治システムの発展をもたらしたのは間違いないでしょう。

 

一方のギリシャ、ポリスと言われる都市の中では、自由民と奴隷、反自由民などの身分制がありました。

ポリス内の市民(自由民)は、均質な存在であるべきとされています。

しかしポリスの政治は、スパルタでも初期のアテネでも一部の貴族が行っていました

 

しかし、アテネでは時代の経過とともにより多くの市民が政治に参加するようになります。

参政権の拡大した背景としては、①貨幣経済導入による格差の広がり、②貴族間の抗争があると思われます。

 

①の格差については、貨幣経済の導入で交易や経済活動の規模が広がって、必然的に貧富の差が広がるわけです。これによって、当時のアテネでは没落し、債務奴隷となるものが続出。市民の平等を理念とするアテネの為政者(特にソロン)は、このままでは市民がどんどん没落して、都市の活気が失われてしまうと考えます。こうしてアテネ市民の奴隷化は禁止されます。

 

②については、政権争いといったところでしょうか。政権を握る貴族間で争いが絶えず、貴族たちは軍事的、経済的に消耗。国防がおろそかになってしまうことを恐れたアテネの為政者(ソロン)は、富裕市民に武器を持たせ、軍隊を担わせることとします。そして、こうして経済的に力を持った市民は、都市を動かす一因として参政権を掴むことになります。

 

こうして、市民の地位が徐々に保障されて向上していった末に、市民の多くが参政権を持つアテネ民主制にたどり着くわけです。

 

中国とギリシア、比較するにしても理想と背景が違いすぎますよね。

 

春秋戦国の諸国は、「周王朝の後継となる、つまり絶対的権力の復活を目指し、その過程として他国を倒すべく政治システムを考案・発展させていった。」

アテネは、「都市国家ポリスとしての理想と存続を目指した結果、貴族政から民主制へと舵を切った。」

と言えるでしょう。

 

3.人口

 

続いては、国の発展、防衛に欠かせないマンパワー

 

春秋戦国時代の諸国の中でも繁栄を誇った大都市、斉の臨淄(りんし)では、全盛期の前4世紀の中頃に7万戸があったと言われ、一戸5人家族とすると、35万人が住んでいたことになります。

 

一方のギリシアでは、アテネの全盛期には自由民や奴隷、外国人などすべて含めて30万人ほどが居住していたそうです。

 

中国の広大な領土とギリシアを比べるのはおかしな話ですが、中国世界では戦国の七雄と言われるように主に7つの大勢力が乱立しており、人口はギリシア世界よりもかなり多かったのではないでしょうか。

 

ギリシアで目立った勢力と言えば、アテネ、スパルタ、テーベなどいくつかありますが、さすがに中国世界の人口にかなうはずはないでしょう。

 

ただ、一つの都市の規模という側面では臨淄とアテネはほぼ対等であり、斉とアテネが戦うことになれば、国内兵数はそこまで変わらないでしょう。

 

4.文化

続いては文化。

人々の思考力や団結力、軍事や経済以外での価値を測ってみましょう。

 

中国ではこの時代、百家争鳴といわれるように様々な思想が誕生しています。

また、今日でも有名な孔子儒教を体系化した時代でもあります。

 

為政者たちが生き残りをかけて多くの考えに耳を向け、優秀な人材を採ろうとした時代です。庶民の中にも立身出世を目指して学問にはげむ人もいたことでしょう。

都市の市場では様々な地域から様々な階層の人であふれ、物資だけでなく多くの知識が行き交ったと言います。

 

春秋戦国時代は、新たな考えが数多く生まれた中国史の中でも有数の時代だったのではないでしょうか。

 

一方のギリシアでは、アテネを中心に数多くの哲学者が生まれ、ギリシア神話を基にした神殿悲劇や喜劇作品なんかも多く作られてもいます。

 

有名なアテネの哲学者アリストテレスはのちの征服者、マケドニアアレクサンドロス大王の先生としても働きます。

こちらも為政者のため多くの考えが凝らされた時代でした。

 

うーん、孔子孫子アリストテレスソクラテスも今でもよく伝わってる人たちですね。双方とも多くの思想が生まれた思想黄金期だったのでしょう。

またまた比較するのが難しいです。。。

 

5.結論

さて、ここまで4つの観点から春秋戦国時代の中国とポリスのギリシアを比べてみました。

 

率直な感想としては、まず両方とも素晴らしいです(笑)

どちらも国家の存続や発展のために様々な思考を取り入れ、見事に今の時代にも残る思想を残しました。

 

政治体制に関しては、個人的にギリシアの方が印象深いです。

絶対的な王権を志向するのではなく、多くの人々に力を持たせ、それによって国家全体としての力を向上させる。こうした勇敢かつ大胆な決断は、当時の他国の為政者にはなかなかできないのではないでしょうか。

 

一方、政治的な思想という面では中国の方が幅広い気がします。

当時のギリシアはポリスとしてあくまで均質、都市全体の発展を企図していた。

だから政治における理想が決まってしまっている。そのため発想が少し縛られていたのではないかと。

 

中国は、多くのライバルが割拠していたわけですから、あの手この手で最良策を求めるわけですね。もしかすると、この国にはこの策、あの国にはあの策が効果的なんて言って使い分けてたかもしれない。一寸先は闇、な状況の中、ハングリー精神にあふれていた時代なんでしょうな。

 

これら二つの地域が衝突した時、何が起こるのか。

 

アテネの市民は一体感があって強そう。

中国の軍隊は、奇策を使って優位に立ちそう。

 

様々な考えが湧きます。

 

結局絶対的な結論に至りませんでしたが、考えるだけで面白い。

また別の時代を対象に、今回のような他地域比較をやってみようかなと思います。

 

皆さんの意見もどんどん聞かせてください!