みつなりのまったり人生録

読んだ小説の感想や、外国語の学習状況、日々の気付きをつらつらと書いていきます

春秋戦国中国とポリスギリシア、どっちがすごい?

こんばんは。

今日は、ふとこんな疑問が浮かびました。

 

春秋戦国時代の中国(前770~前221)と、ポリス国家で有名なアテネやらスパルタやらの全盛期(前6世紀~前4世紀くらい?)って同じ年代だよなあ。。。

でも、どっちがすごいんだ?という疑問です。

 

同時代に存在した世界随一の大勢力。

地理的な距離もあって直接交わることはなかった二つの勢力ですが、

中国もギリシアも一世を風靡する地域なだけに、どちらがすごいのか気になる。。。

 

てなわけで、いくつかの面から二つを比べてみます!

 

1.道具

2.政治体系

3.人口

4.文化

5.結論

 

1.道具

 世界史では、石器時代やら青銅器時代やら色々ありますよね。

特に古代の時代では、道具を何から作っていたかで、生産性や軍事力が大きく左右されます。

時代の名前にもなるくらい重要だった道具、比べてみましょう!

 

まずは、中国。

春秋戦国時代の一つ前、周の時代では青銅器の道具が主流でした。

祭祀道具や食器、武具も青銅器で作られました。

 

それが春秋戦国時代にはより硬い金属、が伝わり使われるようになります。

鉄製の農具、工具が普及するにつれて農業生産や土木工事の効率が大幅に改善したそうです。

ただし、中国で使われていた鉄は鋳鉄と呼ばれる、型に鉄を流し込む製法で作られたもの。西アジアで使われていた鍛鉄よりも柔らかく、武器は依然として青銅が使われていたそう。

 

一方のギリシャ。世界で初めて鉄の使用したと言われる小アジアヒッタイトから近いことより、鉄が普及しています。

 

うーん、青銅も鉄も一長一短ですが鉄の普及に関していえばギリシアの方が広く使われていた気がしますね。

 

2.政治体系

次は政治のシステムについて。

 

中国では、周の勢力が弱まると、数々の諸侯が台頭。

群雄割拠の春秋戦国時代に突入しています。

 

周王朝の崩壊と共に、絶対的王政や身分制が崩れており、

ひしめき合う諸国が人材確保のため、身分や家柄よりも個人の能力を重視する

傾向が強かったと思われます。

この時代、「士」と呼ばれる思想家たちが様々な意見を交わし、様々な国に仕えたと言われています。

 

身分性の崩壊によって、学問や技術が庶民にある程度開かれたのは事実です。

ただし、王重臣の地位は依然として家柄や血縁関係によるところが大きく、

政治参加という面では限られた一族、よほど高名な思想家でなければ厳しかったでしょう。

 

しかし、この時代に多くの政治体系、外交策(法家、兵家、縦横家・・・)が生み出されたのは事実です。このアイデア力と、戦国時代の圧力が政治システムの発展をもたらしたのは間違いないでしょう。

 

一方のギリシャ、ポリスと言われる都市の中では、自由民と奴隷、反自由民などの身分制がありました。

ポリス内の市民(自由民)は、均質な存在であるべきとされています。

しかしポリスの政治は、スパルタでも初期のアテネでも一部の貴族が行っていました

 

しかし、アテネでは時代の経過とともにより多くの市民が政治に参加するようになります。

参政権の拡大した背景としては、①貨幣経済導入による格差の広がり、②貴族間の抗争があると思われます。

 

①の格差については、貨幣経済の導入で交易や経済活動の規模が広がって、必然的に貧富の差が広がるわけです。これによって、当時のアテネでは没落し、債務奴隷となるものが続出。市民の平等を理念とするアテネの為政者(特にソロン)は、このままでは市民がどんどん没落して、都市の活気が失われてしまうと考えます。こうしてアテネ市民の奴隷化は禁止されます。

 

②については、政権争いといったところでしょうか。政権を握る貴族間で争いが絶えず、貴族たちは軍事的、経済的に消耗。国防がおろそかになってしまうことを恐れたアテネの為政者(ソロン)は、富裕市民に武器を持たせ、軍隊を担わせることとします。そして、こうして経済的に力を持った市民は、都市を動かす一因として参政権を掴むことになります。

 

こうして、市民の地位が徐々に保障されて向上していった末に、市民の多くが参政権を持つアテネ民主制にたどり着くわけです。

 

中国とギリシア、比較するにしても理想と背景が違いすぎますよね。

 

春秋戦国の諸国は、「周王朝の後継となる、つまり絶対的権力の復活を目指し、その過程として他国を倒すべく政治システムを考案・発展させていった。」

アテネは、「都市国家ポリスとしての理想と存続を目指した結果、貴族政から民主制へと舵を切った。」

と言えるでしょう。

 

3.人口

 

続いては、国の発展、防衛に欠かせないマンパワー

 

春秋戦国時代の諸国の中でも繁栄を誇った大都市、斉の臨淄(りんし)では、全盛期の前4世紀の中頃に7万戸があったと言われ、一戸5人家族とすると、35万人が住んでいたことになります。

 

一方のギリシアでは、アテネの全盛期には自由民や奴隷、外国人などすべて含めて30万人ほどが居住していたそうです。

 

中国の広大な領土とギリシアを比べるのはおかしな話ですが、中国世界では戦国の七雄と言われるように主に7つの大勢力が乱立しており、人口はギリシア世界よりもかなり多かったのではないでしょうか。

 

ギリシアで目立った勢力と言えば、アテネ、スパルタ、テーベなどいくつかありますが、さすがに中国世界の人口にかなうはずはないでしょう。

 

ただ、一つの都市の規模という側面では臨淄とアテネはほぼ対等であり、斉とアテネが戦うことになれば、国内兵数はそこまで変わらないでしょう。

 

4.文化

続いては文化。

人々の思考力や団結力、軍事や経済以外での価値を測ってみましょう。

 

中国ではこの時代、百家争鳴といわれるように様々な思想が誕生しています。

また、今日でも有名な孔子儒教を体系化した時代でもあります。

 

為政者たちが生き残りをかけて多くの考えに耳を向け、優秀な人材を採ろうとした時代です。庶民の中にも立身出世を目指して学問にはげむ人もいたことでしょう。

都市の市場では様々な地域から様々な階層の人であふれ、物資だけでなく多くの知識が行き交ったと言います。

 

春秋戦国時代は、新たな考えが数多く生まれた中国史の中でも有数の時代だったのではないでしょうか。

 

一方のギリシアでは、アテネを中心に数多くの哲学者が生まれ、ギリシア神話を基にした神殿悲劇や喜劇作品なんかも多く作られてもいます。

 

有名なアテネの哲学者アリストテレスはのちの征服者、マケドニアアレクサンドロス大王の先生としても働きます。

こちらも為政者のため多くの考えが凝らされた時代でした。

 

うーん、孔子孫子アリストテレスソクラテスも今でもよく伝わってる人たちですね。双方とも多くの思想が生まれた思想黄金期だったのでしょう。

またまた比較するのが難しいです。。。

 

5.結論

さて、ここまで4つの観点から春秋戦国時代の中国とポリスのギリシアを比べてみました。

 

率直な感想としては、まず両方とも素晴らしいです(笑)

どちらも国家の存続や発展のために様々な思考を取り入れ、見事に今の時代にも残る思想を残しました。

 

政治体制に関しては、個人的にギリシアの方が印象深いです。

絶対的な王権を志向するのではなく、多くの人々に力を持たせ、それによって国家全体としての力を向上させる。こうした勇敢かつ大胆な決断は、当時の他国の為政者にはなかなかできないのではないでしょうか。

 

一方、政治的な思想という面では中国の方が幅広い気がします。

当時のギリシアはポリスとしてあくまで均質、都市全体の発展を企図していた。

だから政治における理想が決まってしまっている。そのため発想が少し縛られていたのではないかと。

 

中国は、多くのライバルが割拠していたわけですから、あの手この手で最良策を求めるわけですね。もしかすると、この国にはこの策、あの国にはあの策が効果的なんて言って使い分けてたかもしれない。一寸先は闇、な状況の中、ハングリー精神にあふれていた時代なんでしょうな。

 

これら二つの地域が衝突した時、何が起こるのか。

 

アテネの市民は一体感があって強そう。

中国の軍隊は、奇策を使って優位に立ちそう。

 

様々な考えが湧きます。

 

結局絶対的な結論に至りませんでしたが、考えるだけで面白い。

また別の時代を対象に、今回のような他地域比較をやってみようかなと思います。

 

皆さんの意見もどんどん聞かせてください!

 

 

 

 

 

 

一次産品の持つ恐るべきパワー

お久しぶりです。

今日は堅めの話をしようかと思います。

本を読んで考えさせられた一次産品の話です!

 

[:contents]目次

  1. なぜ今、一次産品なのか
  2. 増大するレアメタルの需要
  3. 過去に起こった一次産品をめぐるクラッシュ 

1.なぜ今、一次産品なのか

 

最近、レアメタルや銀の本を読んでいて思ったことですが、

原料をめぐる争奪戦って、歴史上幾度となく繰り返されていたんだなあと。

そんな紛争を引き起こしてきた原料たちは、茶に銀に砂糖、チューリップや石炭石油…など数多い。

 

この21世紀、製品加工技術や無形のデジタル部門の話をよく聞くし、

一次産品はどこか途上国のイメージと結びつきやすい。

一次産品に依存した経済から脱却しよう!なんて声が聞こえてくる世である。

 

では、この争奪戦は現代の先進国には無縁なのか?

答えは全くの逆である。

今一度、一次産品の価値を考え直してみたい。

 

現在でも石油やLNG(液化天然ガス)といった資源は我々の生活を支えている。

そしてその供給は数多くの利権や輸送障壁がかさむため、決して簡単ではない。

 

今年こそ、寒波による影響でLNGが不足し、あやうく電気がストップするところだった。

すぐにLNGを輸入すればよいと思うが、契約の種類や輸送タンカーの空きなど、LNG輸入には様々な条件が関わっており、非常に複雑なわけだ。

 

他にも、石油危機野菜の不作など多くの供給ショックが思い浮かぶだろう。

 

ではなぜ、一次産品の供給がこんなにも混乱を引き起こしていたのか?

答えは簡単で、一次産品は作らなければ生まれないものだからだ。

 

どういうことかというと、一次産品は有形で有限なものである。

つまり、無形の技術と違っていつまでも存在し続け、いつでも入手できるわけではないのだ。

もっと単純に言うと、一次産品がなければ何も始まらない。

 

また、加工などの技術ももともとの原材料が無ければ宝の持ち腐れというか、無価値なのだ。

だからもし、一次産品の生産国が輸出をストップすれば、加工技術に依存した先進国たちはパニックに陥る。

 

2.増大するレアメタルの需要

 

そんな現代に新たな原材料争奪戦が生まれようとしている。

その産品がレアメタルだ。

レアメタル・・・金属の中でも産出が特定の地域に偏在している、あるいは採掘が難しいなどの理由で、供給が限られている金属。鉄や銅、アルミなどの主要金属はレアメタルには含まれない。

 

ネクスト・オイルとも呼ばれるレアメタル

使われ始めたのは1980年代頃だが、その需要は近年激増している。

そして、その需要は再生可能エネルギーへの転換が進んだ場合、今後15年で倍になると言われる。

コバルトなど、金属によっては需要が数十倍になるものもある。

 

その用途は様々だが、特に最近だとスマートフォン太陽光パネル

そして電気自動車など、盛り上がりを見せる分野で需要が伸びると言われている。

より高度で大規模な情報網が張り巡らされた社会を作るとなると、どうも高性能な金属が必要になるらしい。

 

となれば、今まで以上にレアメタルをめぐる競争が激しくなる。

まさに、20世紀の石油を彷彿とさせる。。。

今はあまり取りざたされていないが、今後十年あるいは数年でレアメタルに関する新聞記事はぐっと増えるんじゃないだろうか。

 

昔はアメリカでの生産が大半だったレアメタルだが、今では多くのレアメタルが中国で最も生産されている。

中国の低コストかつ環境規制を気にしない生産により、他国のレアメタル採掘業は衰退に追い込まれたのだ。

 

 

この一次産品を握る中国、レアメタルの鉱石だけでなく付加価値を乗せる加工部分でも覇権を握ろうとしている。

もともと、加工部分では日本や欧米諸国が強かった。

しかし、中国は低コストでの生産を餌に、生産拠点の移転を要求した。

 

日本や欧米企業は格段に低いコストに魅せられ、生産拠点を中国に移した。

そして、生産拠点の移転は技術の移転を意味する。。。

結果は、目に見えている。

 

今ではレアアース(希土類)と呼ばれる十数種のレアメタルの大半が中国で生産、加工されているのだ。(レアアースは経済戦略的にも非常に重要で需要の高まりが期待されている)

 

中国は、中国に生産拠点を移さない製錬業者にはレアメタル鉱石の供給を制限

まさに、一次産品を有する国の最大の切り札を活用したのだ。

これによって、中国に拠点を移さない企業は衰退の目を見た

 

今でも、高い技術力を武器に日本や欧米企業でレアメタルの精錬を行う企業はあるが、

今後中国企業が追い越し、取って代わる可能性は十二分にある。

レアメタルの話を聞いただけでも、一次産品を有することの強さが

身に染みて分かるのではないだろうか?

 

一次産品を有していれば、需要のある他国に脅しをかけられる

そして、その脅しをうまく使えば、終いに他国の技術とビジネスを取り上げることができるのだ。

 

ああ、おそろしや一次産品。

 

3.過去に起こった一次産品をめぐるクラッシュ

 

始めにもちょろっと触れたが、レアメタル以外の一次産品でも

数多くの争いが起こってきている。

 

20世紀で言えば、石油危機。

産油国が、石油の供給を制限して

石油を持たない国々を恐怖に陥れた。

 

だかろこそ、アメリカはサウジアラビアと仲良くやり、

ベラルーシもロシアから離れられないのだ。

 

では、もっと時代を遡ってみるとどうだろう。

 

一つは砂糖。

新大陸からコーヒーや茶が伝来したヨーロッパでは、

一大ブームが起こった。

コーヒーと紅茶に砂糖を入れるため、砂糖の需要も激増。

多大な土地と人員を要する砂糖栽培はヨーロッパでは行われなかった。

 

では、砂糖が欲しくてたまらないヨーロッパ人はどうしたか?

砂糖を新大陸で大規模生産させたのだ。

そして、その労働力はアフリカの奴隷!

 

新大陸で広大な土地を持ったイギリスは、この砂糖の貿易で莫大な富を得たという。

このイギリスの事例を見ても、一次産品を持つことが大事なのだと分かる。

砂糖を生産していたのはイギリス本国ではなく、イギリスの植民地だが、形は違えど砂糖の生産拠点を持ったイギリスは強かった。

 

砂糖の話で出てきたお茶にも面白い例がある。

お茶は元々中国が由来。

清国はお茶をヨーロッパへ輸出することで、莫大な量の銀を獲得。

 

気候条件などから、ヨーロッパでは栽培がなかなかできなかったようだ。

なので、中国に依存せざるを得ない。

その結果、イギリスは対中貿易で巨額の赤字を計上。銀が流出した。

一次産品すごい…。

 

しかし、これを良く思わないイギリスは、現代ではなかなか受け入れがたい措置をとって貿易赤字を解消した。

それが、アヘンの輸出である。中国人をアヘン漬けにして、アヘンによってお茶の輸入分を相殺する。というか、むしろ清国側が銀の流出に苦しむようになった。

これはまあ、一次産品が招いた災禍とも言えましょうな。

 

最後にもう一つ、加工過程のぶんどりにも関連する話を一つしておきたい。

登場人物は主にイギリスとインド。

 

元々インドは、綿花の栽培に加えて綿製品を作っていた。

インドと交易を始めたイギリスは、この綿布に目をつけてインドから輸入。

のちにヨーロッパで綿布ブームが起きて、ヨーロッパに大量に輸出できた。

 

イギリスとしても利益になる話だが、イギリスは綿布をも自前で作ろうとした。

利益が欲しいのはもちろん、綿布を自前で作る土台もしっかり準備できていたからだ。

 

まず、綿製品の原料となる綿花。

これは、新大陸のプランテーションで大量に作らせた

これをイギリスで加工し、綿製品にできる。

 

ただ、これだけではインドに勝る綿製品とは言えない。

しかし、イギリスは競争力をぐっと上げる発明をしてしまった。。。

 

それが、紡績機の発明である。アークライトとか、世界史の授業で聞いたことがあるかもしれない。

この発明によって、綿製品の大量生産が可能になり、ついにはインドの綿布に勝る競争力を手に入れたのだ。

これによって、かつての綿製品輸入者のイギリスは綿製品の輸出者に大化けし、逆にインドは綿製品の輸出者から原料である綿花の輸出者に転落した。

 

この話で何が言えるかというと、モノによっては一次産品を有してても安泰ではないということ。

綿花が新大陸でも生産できてしまったことで、まずインドの独占状態にはならない。

そして、イギリスの発明によって技術力、コスト面でもインドは負けてしまった

 

もし、綿花がインドでしか作れない植物だったならインドは綿製品を作り続けており、イギリスの覇権はなかったのかもしれない。。。

つまり、一次産品供給網の多様化は非常に重要だということ。

 

レアメタルに置き換えると、もし中国以外でも多くのレアメタルが産出されるようになれば、中国も安泰ではないよね、ということ。

また、イギリスの紡績機の話からは、技術力というファクターも競争力の構図をガラッと変えうることが分かる。

一次産品の供給網をベースに、技術力をつけ、生産コストを下げ、その技術的優位を保ち続けることができれば、その商品の最大生産者になれるかもしれないのだ。

 

長々と書いてしまいましたが、どうでしょうか?

 

一次産品は歴史上で数多くの対立、繁栄を生んできました。

それに翻弄されてきた人たちは本当に多い。

一次産品の優位性を以て、巨額の富を成す人もいる。

 

でも、その構図は絶対的なものではない。

何らかの防止策で、独占状態を回避できることもあるだろうし、

一次産品が無くても技術を磨けば、なにか利益がこぼれてくるかもしれない。

 

21世紀の一次産品争奪戦はどういうものになるのか。

誰が勝者になるのか。

過去の出来事と重ねながら、楽しんで見られたらなあと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学選びについて

ひさびさのブログ更新です。

 

今日は共通テスト二日目ということで、自分の受験生時代を思い出します。

当時のセンター試験前日には、友人と受験会場に下見に行き、何とも言えない緊張感と高揚のなかで「明日は頑張ろうね」なんて言ってましたね。

 

当時は当時でひたすらに勉強して、毎日当たり前のように過去問を解いたり、ノートと向き合ったり…。大学生という未知の世界に向けて突き進んでたと思います。

懐かしいなあ…!

 

でも、就活も終えた今から振り返ってみると、別に思うところがたくさんあるわけです。今日はそのことについて話します。

 

「もし他に合格してた大学行ってたら自分はどうなってたんだろう。」「あの大学言っておけばよかったのかな…。」なんてこと、僕はたくさん思いました。それでも自分の選択が正しかったと思うこともあるし、大学の選択が仕事も生き方の方向性も形作ってくれたんだな、と思います。

 

自分には二度と戻ってこない受験というエピソードですが、この経験、そして受験というものの意義を現役受験生の方々にも知ってほしいと思います。

 

  1. 受験の意義
  2. 大学選びの基準ー目標がある人編ー
  3. 大学選びの基準ー目標がまだない人編ー
  4. おわりに

 

今だから思う受験の意義

受験とは何か?と言われれば、僕は「身を置く環境の選択」だと答えるでしょう。

大学は自分の生活水準や夢を確約するわけでもないし、結局自分の人生は自分の行動で切り開いていくわけです。

ただそれでも、大学という環境は専門性やキャリアの礎、物事への意見なんかを規定する大きな要因になります。大学は自分自身の一部ではないですが、自分の将来を間接的に左右する、とても大きな場所というわけです。

つまり! あなたという人間がどういう道を進むのか、選ぶのはあなた自身ですが、様々なゴールを提示し、道を作ってくれるのは大学なんです。

 

大学選びの基準

そんなに大事な大学、どう選ぶべきか?

僕なりの答えを書いてみます。

 

夢が決まっている人⇒その夢をどう叶えるか?

既にやりたいことが固く決まっている人は、どういう形でその夢を実現させるかを考えてください。

僕なんかは、漠然と記者になって世界中で起こっていることをこの目で見たい。と思ってました。だから外国語のスキルと国際経済なんかを勉強してやろうと考えました。

受験生の当時は、世界を股にかける記者になるには、それしか選択肢がないと思ってました。でも、実際就活を経験すると色々なアプローチで記者になれるんだなって思います。経済に特化した勉強をして、専門的なレベルで経済の分析ができる人、政治学や法律をがっつり勉強して国際政治を読み解く人、色々な強みを持った人が記者になります。

つまり、一つの夢でも叶え方は一様ではないってことです。

その中で、自分が一番興味のあること、強みと感じるものを伸ばせる大学、学部を選ぶこと。これが理想のキャリアにつながるのではないでしょうか。

 

・夢が決まっていない人

とはいっても、高校生のうちでがっちりと将来像を描くのは難しいですよね。

なので、夢が決まっていない人を2タイプに分けて大学選びの基準を紹介します。

 

ここからの内容は、夢が決まっている人も参考にできる内容なので、ぜひご一読を!

 

1.何事も器用にバランスよくできると感じる人

 まずは、何事も器用にこなせるバランス型な人。

何にでもなりうる大きな可能性があるし、どのようなキャリアも努力次第で作れるんじゃないでしょうか。

そういう人たちは、様々な情報や人脈に触れられる大規模な大学が向いているんじゃないでしょうか。有名どころで言えば、早慶マーチなんかです。

大きな大学なら先輩の就活支援や、様々な学部の話も耳に入るし、幅広いキャリア形成がしやすいと思います。

また、就活の場においては、大きな学部やよくある専門を選ぶと学生の能力や専門性が、一律に評価される可能性があります。多数の同級生・ライバルがいる中でも、埋もれない人間性や、独自の武器を持っているとなお強いと思います。

将来の夢や興味のある分野もないよって人は、得られる情報や学部内での柔軟性教養学部国際基督教大学なんかは幅広い専門を身に着けられる)を重視して大学選びをすると良いかもしれません!

 

2.何かに特化して能力を発揮したり、個性的だと感じる人

専門家タイプと言えるかもしれません。

こういう人たちは自分だけの特性を身に着けられる学校、学部を選ぶことをオススメします!

仮に苦手なことがあっても、自分だけの強みを磨き続けるキャリア形成が向いているんじゃないでしょうか。有名どころの大学だと、国際教養大、東京外大、東京芸大などいわゆる単科大学に近い大学ですね。

入学した時点でキャリアパスが想像しやすいのもこういった大学・学部の特徴でしょうか。

あまり見かけないレアな専門性を持っていれば、その強みを買ってくれる企業にものすごく重用されると思います。なにせ代わりがいないのですから(笑)。

何百人、何千人もいる学部と、数十人しかいない学部ではその長所短所は完全に異なります。

珍しい専攻ならば、ライバルの多さが圧倒的に違うため、その道を極めることで専門家としてかなりの価値を有すことになると思います。

何か興味あることがあるなら、大学のネームバリューや偏差値を最優先に考えなくとも良いと思います。就活においても、自分自身の強みが大学名以上に大事ですからね。

 

大学選択は人生を形作る!

人生の分かれ道ともいえる、大きな決断は誰しも経験すること。

 

大学選びもその一つと言えます。

 

「あの時の選択があったから今の自分がある。」

こう思うこともしばしばです。

人生は選択によってその色を変えていきます。

 

受験生の皆さん、これから受験に臨む皆さん、どうか悔いのないよう準備をして、

悔いのない選択もできますように。

選択前ならどんな将来も描けるんだから、こんなに素敵なことはありません。

 

自分らしい選択をして、心から楽しめる学生生活になるよう応援しています!

 

 

 

 

 

 

秋田の星 安東愛季!「斗星、北天にあり」①

早速今読んでる歴史小説のお話をしたいと思います。

 

今読んでる本は、斗星、北天にありという鳴神響一さんの作品。

戦国時代の安東氏を描いた作品になります。

 

この作品の主人公はズバリ、檜山安東家8代当主安東愛季(あんどうちかすえ)(1539~1587)!!

当時の檜山安東氏は現在の秋田県北部、能代市の檜山城を拠点にしていた一族です。

 

主要港の能代は、大型船が停泊できるように整備されておらず、かつてのようにアイヌらの北国船や上方との交易でも存在感を出せていませんでした。

一方、南の分家的存在である湊安東氏は、土崎という活気あふれる港で交易を盛んに行っていたのです。

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安東氏の大体の拠点地。赤が檜山安東氏(ピン留めしてあるのが檜山城)、青が湊安東氏。

 

自分たちの土地が貧いことを痛感し、周辺を南部氏などのライバルに囲まれていた安東愛季は危機感をつのらせます。そこで、能代の港を拡大し、交易をもって民に富をもたらし、安東氏を再び東北随一の勢力に戻そうと考えます。

 

こうして、安東愛季と周囲の人々による安東氏の復興劇が幕を開けるのです!

なかなか面白くなりそうですよね。

 

でも・・・

安東氏って聞いたことがない人も多いかもしれません。

 

マイナーな武将なので、大河ドラマ歴史小説を見ても滅多に出てきません。

そんな安東氏が主役の座を担うこの小説、珍しくて見つけた瞬間に買いでした(笑)

 

安東氏は、実は我が家とも関わりがあるようで前々からいつか詳しく知りたいと思っていたんです。

でも、この本を読むまで私は安東氏についてほとんど知識がありませんでした。

 

なんで安東氏は檜山安東氏と湊安東氏に分かれているんだろう?

そのレベルからのスタートでした(汗)

 

検索をかけても、本を探しても、なかなか情報が得にくいと思ったので、この場でざっと安東氏の紹介をしていこうと思います!

東北の方々、戦国ファンの方、安東氏ファンの方に何か少しでも収穫をもたらすことができれば幸いです…

 

鎌倉時代の安東氏

安東氏は元々秋田ではなく青森を中心とした勢力でした。

津軽半島の十三湊を中心として、アイヌとの交易などを背景に北海一ともいえる繁栄を築いたと言われています。

 

室町時代の安東氏

安東氏の分裂 

時の当主安東盛季は、弟の鹿季を分家させ秋田群に南下させます。これには、南方に別の当主を立てることで京都とのつながりを強化する狙いがあったとされます。そのため、湊安東氏は代々朝廷や管領細川氏とも関わりが強かったそうです。

これにより、安東盛季はのちの檜山安東家初代当主に、弟の鹿季は湊安東氏初代当主となったのです。

安東氏の絶頂期

津軽に残った宗家は権勢をふるい続け、朝廷にもその存在を認められていました。

それを表す事例として、二代康季は天皇より「奥州十三湊日ノ本将軍」と認められます。

安東氏の津軽撤退

三代義季の時代には、八戸から勢力を拡大した南部氏が侵攻し、安東氏は破れてしまいます。その戦で、義季は敗死してしまいます。

その子、政季は南部家の庇護を受けて下北半島に所領をもらい、なんとか四代目当主となって(檜山)安東氏を存続させます。

しかし、1454年には再び南部氏に攻められ蝦夷地へと逃れます。2年後の1456年、男鹿半島に入り、檜山群に支配を広げて檜山城を拠点にすることとなったのです。

小説上の愛季の時代へ

五代、六代、七代と続いた檜山安東氏。

アイヌとの交易を重視し、なんとか家は続いていきます。

南にいた湊安東氏との関係はと言うと、七代舜季の時代に距離が近づきます。

というのも、舜季は湊安東氏当主堯季の娘を嫁に迎えたのです。

いわゆる政略結婚であり、その間に生まれた主人公・愛季は檜山安東氏と湊安東氏の両方の血を継ぐ友好のしるしでもありました。

さらに、湊安東氏当主の堯季には男子が無く、愛季の弟を養子にとって家を継がせます。よって、愛季の時代には檜山安東氏の血を継ぐ茂季が湊安東氏当主となっていたのです。

こうした背景もあってか、小説上でも二つの安東氏は敵対関係にあるわけではありません(多少の小競り合いはありますが)。

 

以上が小説の時代以前の安東氏紹介です!

元々一つだった津軽の安東氏が分家し、その後南部氏の攻撃で津軽を去ることになり、本家の安東氏は秋田北部の檜山に落ち着く。分家した湊安東氏の方は秋田に根を張り続けていた。

こういった流れが見えたでしょうか…?

 

小説の時代の安東氏は、日ノ本将軍と言われた時のような力はなかったように思えます。さらに、富の源であるはずの能代港での交易が不調なわけです。

能代を素通りして別の港を目指す船を絶えず目にしていた愛季はここから安東家の発展を目指すことになります。

 

小説の今後

さあ、二つの安東氏がどのように絡み合って安東氏の再興がなされるのか?

愛季は戦国の乱世にどう立ち向かっていくのか?

港の再建はうまくいくのか?

もう少し読み進めて、また記事を書こうと思います!

 

安東氏について別の見解や、新しい情報があるよって方ぜひ教えてください!

よろしくお願いします。

 

軽くブログ紹介と自己紹介

はじめまして。 

人生初のブログを今書かんとしている、みつなりです。

 

現在大学4年生でゆるりと夏休みを送っているのですが、

いかんせん、時間が有り余っています(笑)

 

ただいたずらに時間を過ごすより自分の考えとか気付きを

世の中に発信できたらな、という勝手な正義感のもと

ブログをはじめようと決心しました。

 

記事の内容

上でも書いた通り、大学生の夏休みは(特に今年は)時間が膨大にあります。

 

最近は小説を読んだり、歴史系のドラマを見ることが多いので、その感想などを書けたらと思っています。

コアな内容になるかもしれませんが、史実を語るだけではなく、現在にも通じる人生論なんかも交えて、敷居の高くない楽しい記事にしたいです。

興味ある方はぜひお付き合いください。

 

わたくし、3か国語(日・英・露)がそこそこに使えるので、外国語の勉強方法やロシア情報なんかも発信していこうかなと。

中国語の勉強も現在進行形でやっており、9月のHSK(中国語検定)の4級を受験します。その学習状況なんかもアップしていこうと思います。

 

そのほか、思うところがあれば逐一記事を書くと思うので、よろしくお願いします。

 

筆者について

おっと、自分自身のことも語らずここまで書いてしまいました。

書ける範囲で自分のことを書かないと、ですね!(笑)

 

わたくしみつなりは、

東京の国立大学に通う大学4年生です。

卒業後は政府系の機関で働く予定です。

 

なぜ政府系か?

 

これもおいおい書きたい話ですが、簡単に言えば

日本が好きだから!です(笑)

 

就活生とか大学生向けに色々就活記事を書くのもありかもしれない…

野望が膨らむ…

 

書きたいことが今もポンポン増えていってますが、

第1回の記事はここらで終いにします。

 

これからよろしくお願いします!!